一棋客の思考の欠片

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zoom RSS 名人のこと覚書

<<   作成日時 : 2006/06/01 23:59   >>

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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と3人の天下人に碁を教えた僧侶日海は後の本因坊算砂です。この日海の対局を織田信長がみて「名人」とたたえたのが棋士を名人と呼ぶはじまりとか。
名人碁所となった碁打ちは江戸時代を通じて数えるほどしかいません。一度名人碁所となったら、引退するまで名人で御城碁は打ち止めになり、棋界を束ねる絶対者として君臨しました。江戸時代の前期の名人で有名なのが本因坊道策、後期が本因坊丈和です。棋聖としてそれぞれ前聖、後聖と讃えられましたが、明治になってくせのある丈和から品行方正な秀策に後聖が移りました。ただし、秀策は本因坊家の跡目までにはなっていますが、名人にはなっていません。
秀策の師匠の本因坊秀和も名人になることができませんでした。幕末になって秀策もころり(コレラ)で病死。御城碁も行われなくなり江戸幕府は大政奉還をします。明治を迎え、本因坊家は禄も失ったわけです。
江戸時代の名人は九段、八段は準名人といわれました。(そう考えると今の碁のプロの九段がやたら多いこと・・・。僕は段位とはタイトル保持者は九段として、初段から九段はレーティングなどで均等に割ればいいと思います。自分の最高レーティングが段位であればよい。相撲みたいな番付でもよいですが・・・)
秀和の弟子で秀策の弟弟子であった村瀬秀甫は、日本棋院の前身ともいえる方円社を興しましたが、晩年に本因坊秀甫となるも、名人を名乗ることはありませんでした。明治以降、名人を名乗ったのは秀和の息子である本因坊秀栄(土屋秀栄)と川端康成の名人でも登場する本因坊秀哉です。
これ以降の囲碁界では、名人は取ったり取られたりするタイトル戦の呼称になりました。名人戦ができる前の「名人」のほうが、ある意味重みがあるというのは当然かもしれません。名人とは単に強いチャンピオンであればいいというわけではなく、生き方そのものだったわけですから・・・。

実力制に移行してからも木村義雄、大山康晴と大名人を輩出した将棋界ですが、いま名人戦騒動に揺れています。なんだか、この騒動はゴシップなども膨れ上がってよくわからない方向に進んでいますが、棋士のイメージダウンには確実になったでしょうね。将棋界へ注目を集める呼び水効果はあるかもしれませんが、その水が濁っているのが困ったものです。
ただ個人的には、きっかけがあって渡辺明ブログを定期的に読むようになりました。将棋の解説などのまじめな記事とくだけた内容のバランスが絶妙で、面白いです。彼のようなサービス精神旺盛なある意味やんちゃな発言もある棋士が名人になったら、ファンは快哉をさけぶことでしょう。応援します。

僕の持っている「コンピュータは名人を超えられるか」飯田弘之著に飯田先生の揮毫が入っていて「名人を創る」とありました。名人は創れるか?というテーマで語ろうとしていたら、ついつい「名人」について語ってしまいました。まあ、名人についての明確な定義、というものが必要ですが、これほど書いても名人について100ある内の1も語っていないと思います。

一言だけ名人戦について言ってみます。名人の呼称に金銭的な価値があるとは思いません。結果として積み重なった人々の念(敗者たち、主催者、ファン・・・)、それらの重厚な歴史を踏まえて、天に選ばれた者が特別な場を与えられ、最高の技芸を争うからこそ価値があるのです。対局者、運営するスタッフ、ファン、ファンに情報を伝える人々・・・。それぞれが一翼をになっていると思います。



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一人で家出したんだけど助けてほしいです。もう親には頼れない…super-love.smile@docomo.ne.jp
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2009/10/31 10:28

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